興味を持ったきっかけは高専時代の事件から

今でこそ、機械学習という技術を柱に株式会社キカガクを設立しておりますが、その出会いは大学院時代でした。
とは言うものの、機械学習の勉強をしたくて大学院へ進んだのはありませんでした。

大学院は京都大学へ進学したのですが、大学は京都大学ではなく、舞鶴工業高等専門学校(通称:舞鶴高専)に通っていました。
舞鶴高専では、ARに関する画像処理の研究を本科(1〜5年生までを指します)時代に行い、専攻科ではロボットのシステム制御に関する研究を行っていました。
ロボットの研究は、物理と制御工学の数学も必要な上、ロボットを動かすためのプログラミングロボットのハードウェアやマイコンに関する知識と幅広い知見が必要となり、最初は大変でしたが、この研究のお陰で、机の上で勉強していた知識と実応用が結びつくことになりました。

ただ、この研究室の先生が本当に怖い
というよりも、研究内容ではなく、自分自身がすぐに甘える性格であったため、一番厳しい先生のもとで修行しようと、この先生の研究室を選んだのですが、覚悟の上とはいえ、震える毎日を送っていました(先生ごめんなさい)。
自分で言うのもなんですが、私は何でもそつなくこなすタイプであったため、テストも毎回前日勉強のみでしたが、学校での成績は上から2番目と、先生からの評価も高く、怒られることがあまりありませんでした。
しかし、この先生だけが「君はテストはできるが、実力はない」とご指摘をいただき、完全に見透かされていることがわかりました。
この先生のもとであれば、手抜きはないだろうと、この研究室を選んだわけです。

期待通り、非常にビシバシと鍛えていただき、メキメキと「実力」をつけていくことができました。
その半面、かなり無茶苦茶な時間を投入して勉強をしていたため、体には負担が常に貯まっていっていました。

そして、ことは高専専攻科1年の冬。
先生に海外への短期留学や大学院進学の相談をしていたとき、少し立ちくらみを感じるなと思ったと同時に、フラッと倒れていたようです。
貧血気味で我慢強い性格のため、いつも倒れるまで耐えてしまう癖がありました。
十数秒後に意識を取り戻すのですが、起きてみると、他の先生も駆けつけていて、なにか大事になっていました。
もちろん、個人的にはただの過労が影響した貧血だったのですが、先生からすると、急に目の前で意識を失った大変だ!といったところです。

急に倒れ、壁で頭も打っていたそうなので、「精密検査を受けてきなさい」とお達しがあり、「ちょっと疲れてただけなんだけど」と内心で思いながらも、精密検査を受けました。
「急に意識を失う」という発作が起きたため、てんかんという病気の可能性があるという診断結果となりました。
この精密検査の結果は2週間後にわかるとのことで、2週間はてんかんの可能性があるため、「運転は禁止」という制約があり、山奥の田舎に住んでいたため、車がないと何も行動できない生活がはじまりました。
今でこそ東京にいるため、そこまで感じることはなくなりましたが、田舎では車がないと本当になにもできない。
学校に通うにしても、兄にお願いして、50分かけて車で送ってもらったり(もちろん往復)と人に迷惑をかけないと行動できない2週間でした。
2週間後に精密検査の結果が発表され、結果的にはてんかんではないとのことでしたが、この非常に不便な経験が忘れられませんでした。

「てんかん」という病気は100人に1人に発症する可能性があると言われています。
日本では少なく見積もって、100万人以上が対象となります。
そう考えると、自分の経験した非常に不自由な生活で困っている人がこんなにたくさんいるわけで、これをなんとか解決できる手段はないのかと考え始めました。
もしかすると、人生で初めて、何かを解決したい!と強く感じた瞬間だったかもしれません。

この時点(21歳)から医者を目指すことは難しいため、自分の得意なエンジニアリングの領域で解決できる方法を調べていくうちに京都大学のとある研究室を見つけました。
その研究室では、心拍の情報を信号処理することによって、事前に発作を検知する仕組みを作っていました。
たしかに、てんかんという病気は意識を失うこと自体が大きな問題ではなく、意識を失った後に起きる副次的な問題が大きかったりします。
例えば、料理をしていれば、熱されたフライパンに顔をぶつけて大やけどしたり、運転していれば暴走してしまったりといった具合です。
そう考えると、発作を止める医学的なアプローチも大事ですが、発作を検知するエンジニアリングのアプローチでも大きな問題を回避することができるのです。
「これだ!」
思い立ったが吉日、全然学力的に足りないのはお構いなしで、京都大学の研究室の教授に直接連絡してアポを取り、見学に行きました。
今思うと、この行動力がそれからの人生を大きく変えてくれたため、我ながらこの行動力には感謝です。
教授含めた研究室の雰囲気も素晴らしく、研究内容の数式も全く何を言っているかわかりませんでしたが、とりあえず「てんかんの研究ができる!」とだけわかり、ここの研究室を受験することに決めました。
一度決めれば、目的に向かって後は必要なことをひたすら勉強するだけ!と無我夢中で勉強し、無事、念願の研究室に合格することができました(大学院は研究室単位で合格がきまるため)。

「機械学習」という言葉すら大学院に入学するまで知らなかった

実は、希望する研究室には入ったものの、学部から上がってきている別の学生がてんかんの研究を希望していたため、大学院から入る外部からの私には、そもそもその研究の枠が空いておらず、別の研究をすることになるのですが、、、
この研究室はもともと製造業の異常検知や品質予測に強みをもっているところであり、その異常検知の技術を生体信号に適用したものが、てんかんの発作検知の技術でした。
そのため、泣く泣くですが、同じ技術であることには違いないと自分に言い聞かせ、製造業向けの研究が始まりました。

早速研究がスタートするのですが、前の研究室ではロボットのシステム制御と別の研究内容であったため、まずは必要な基礎事項の勉強から。
「データ解析」と漠然といつも読んでいたため、気づいていなかったのですが、異常検知含めた主要な技術が機械学習であることを、ここで知りました。

ここから先の大学院時代の研究の話はまた別の機会として、

「人工知能を含めた機械学習にいつから注目されていたのですか?」
とよく聞かれる質問に対しては、
「てんかんの研究をしたくて、それを学んでいくうちに機械学習に出会い、社会に出た頃にディープラーニングがブームになっていた」
が私の答えです。

案外、こういう出会い方もあったりするものです。

機械学習との出会いは偶然というよりも必然でした。